潭柘寺 Tan Zhe Si #9 [北京]
潭柘寺の続き。山門を出て、出たところにある仏塔を見に行く。潭柘寺の仏塔の林という名前で有名な通り、仏塔が林のようにたくさん並んでいる。ここは墓地のようだ。墓石が仏塔と呼ばれている。清の時代の皇帝の親族の墓もあるが、古い時代のものもたくさん残っている。
塔は煉瓦で造られ、多いものは九重の塔になっている。これも、もしかしたら位によって最高が九重で、それ以下は格によって作られているのだろう。 ここに葬られているひとは、それなりに身分の高い人か僧侶なので、小さい墓も凝った作りの立派なものである。
今日も寒い朝で、日本海側は大雪のようだが、冬は寒くないといけないと言いながらも、あまりに寒いと朝の散歩がつらい。
「When We Were Orphans 」 Kazuo Ishiguro [読んだ本]
この10日ほどの間にいろいろな出来事があった。やるせなくつらい気持ちのまま毎日が過ぎてゆく。人生にやり直しはないし、過去は変えられない。そんなことで、人生というわけのわからないものにまた向き合うことにもなった。
考えて見れば人生を考えるときには基本的には過去しかない。未来はあまりにも遠く感じられ身近には思えない。生来の楽観性のためかあまり真剣には考えない。自分の生きているということを考えると現時点の過去の集積が自分の人生になっている。未来や現在まで含めて、総体的に捉えるような頭の良さというか想像力が自分には欠けているようだ。
未来はおぼろで、現在は見る間に過去に変わっていく。過去に流されるかのか自分の中に澱のように沈澱していく。そんな意味で自分には人生は過去の集積なのだろう。
「When We Were Orphans 」は、そんな意味で過去の話だ。20世紀の初めに上海に生まれたイギリス人の回想になっている。何年か前に「Never let me go」を読んで以来の Kazuo Ishiguroの二冊目。読み始めたものの雑な探偵小説のパロディのような感じがして、あまりに稚拙な穴だらけのストーリー展開と現実感のない描写にイライラしながら読み進んだ。大作家の作品を稚拙というのも尊大な感じだが、本当にそう感じたのだ。
そして最後の種明かしで、その粗と感じたことこそが、登場人物を説明するためのKazuo Ishiguroの技だった。タイトルにもなっている「私たちが孤児だった時」とは、現実に主人公は孤児だし、孤児も登場するが、最後の方の主人公の独白
But for those like us, our fate is to face the world as orphans, chasing through long years the shadows of vanished parents. There is nothing for it but to try and see through our missions to the end, as best we can, for until we do so, we will be permitted no calm.
から採られている。というより、この文章を書くために小説が書かれたといっても良いと思う。ここに書かれているのは、消えた両親の影を追い求め、穏やかな気持ちになることはないということだが、この両親は他のすべてのことに当てはまる。私たちは、両親を求める孤児のようにこの世の中に生きているということだ。この小説の登場人物は、孤児であろうとなかろうと、すべての人が何かを追い求めている。そして、それはこの小説の中では何も実現することなく終わっている。その意味で、この小説は喪失の物語である。両親を、愛を、故郷を、子供を、自己を、理想を、存在意義を失くした人の物語である。
小説の始めに感じた粗さは、この小説家の意図であり、この主人公の存在のはかなさや脆さを表現していると感じたのは最後の最後になってからだ。その意味で、 Kazuo Ishiguroという小説家は、小説という形式を手玉にとってこの小説を書いたといえる。だから、一度読んだだけでは、この小説の小説としての面白さは味わえないのかもしれない。
イギリス人の英語は、アメリカのミステリーと比べると文章が複雑なのと単語が難しいので好きではないのだが、カズオ イシグロはやややさしく感じる。それでも読むのに時間がかかって、このところ忙しかったこともあり、今年の週に二冊の目標にやや遅れ気味。
潭柘寺 Tan Zhe Si #9 [北京]
潭柘寺の続き。日本では中国の様々なものを取り入れて日本的に消化している。建築様式も同じで、原型が中国にあるケースが多いが、この写真に出てくる丸い出入口は日本では見かけない気がする。中国では一般的で、寺に限らず他の場所でも見かけるが、日本では見たことがない。どこかにあって知らないだけかも知らないが、少なくとも日本では一般的ではない。これは、どうしてだろうか。丸い形を明けるのが日本人の美意識に合わないのか、それとも単に技術的に難しくて再現できなかったのか。
寺を一回りして入口の門に戻る。入口のそばに立派なレストランがありそこで昼食して少し休んだ。その後は、この寺がそれで有名な仏塔の林に行ったのだが、それは次回に続く。
今朝は比較的ゆっくり寝て散歩に行っていないのだが、寒くて散歩にも二の足を踏む。エルは行きたいだろうから、意を決して出かけよう。
潭柘寺 Tan Zhe Si #8 [北京]
潭柘寺の続き。沙羅樹という木が植えられている。「平家物語」の冒頭に登場するが、ここに行くまで沙羅樹という木は現実には知らなかった。むしろ「沙羅双 樹」という木がと思っていたくらいだ。新緑の頃で葉の色が美しかった。境内の真ん中にある大銀杏は帝王樹と呼ばれ、遼の時代に植えられた樹齢1400年の 木で一番古いそうだ。
今朝は大雪で散歩には行けないが、例によってエルは早くから目が覚めて起きてしまった。こういう日はゆっくり寝てくれると飼い主も朝寝ができるのだが。空は青空なので今日は良い天気になるようだ。
潭柘寺 Tan Zhe Si #7 [北京]
先週から雨が降り続いているが今日も午後から雪になるそうだ。寒いし気分の優れない朝だ。だんだん夜明けの時間が早くなって一番遅い日から3分ほど早くなったが曇っているのでよく分からない。
4月に行った潭柘寺にはいろいろな花が咲いていた。ライラックや海棠など。この寺は樹木が有名で大銀杏とかすごい木があったが、たくさんの人がお参りしていたのは、松と檜が絡み合って生えている「百事如意」樹。この木に願うと何事もうまくいくということだ。
この項続く
銀座ニコンサロン 樋口徹写真展「五冊の余熱」 [写真・カメラ]
年末以来、忙しくて写真展にも展覧会にも行っていない。国芳展も行ってきた娘に聞くと非常な混雑らしい。もうひとつ行きたい国立博物館の「清明上河図」も二時間待ちとか聞いたので二の足を踏んでいる。もう24日で終わりだから無理だった。
最近行ったのは、先週の銀座ニコンサロン。通りかかったので期待しないで入ってなかなか良い写真展だった。何と言うのか写真の一点一点に引き込む力を感じた。なぜか分からないが、写っているものは普通の物だから構図とか光の使い方が違うのだろう。ただ、残念なのはカラーやモノクロ、フォーマットも各種となんか落ち着かない。一枚一枚の写真は良い感じなのだが、その余韻もなく次の写真で別世界に連れ去られる感じだ。 五冊の本に触発された写真ということなのだが、せめて一冊一冊のシリーズの中ではフォーマットは統一してほしいと思った。それは個人的な趣味というか思い込みの世界かもしれないが、でもともかく写真は良かった。
この週末もどこにも行けない。寒くて行けないではなくて、事情があって行けないが、 でも寒いのも寒い。長い間降らなかったが、その埋め合わせのように毎日雨が降っている。今日も雨だからエルも散歩に行けず、カメラの出番もない。
予期しないこと [日記]
いろいろと驚くことが起きるのが普通のことだが、家でも会社でも驚くようなことが起きた週だ。普通は驚くようなうれしいことは起きず、悲しいことのほうが多い気がする。
Expect nothing and accept everything and you will never be disappointed.
と言ったのはローレンス・オリビエだが、起こったことは受け入れるしかない。選択肢が無いのだから仕方ない。
潭柘寺 Tan Zhe Si #6 [北京]
潭柘寺の続き。中国のお寺に行くと魚がぶら下がっているが、あれは叩くものらしい。日本に入って木魚になったのだろう。ここの魚は石らしいが、説明によると銅がたくさん含まれている石で変わった音がするということだ。それから線香は渦巻きの蚊取り線香型で、日本とは全く違う。長時間持たせる工夫なのだろう。1700年の歴史があるお寺だが、その間には戦乱もあったし、なんといっても20世紀には文化大革命があったから、伝統がすべて生き残っているということでもないだろう。破壊をまぬがれたのは奇跡か山の中だったからだろうか。
今朝も暗くて寒い。先日の健康診断ではまた肥ってしまったようだが、寒いのはどうしてだろう。今年の方が昨年より寒い気がするが、ひとつ年を取ったせいだろうか。
今朝見るとコダックの株価は一時80セント程度まで上がったが、また50セント程度まで落ちている。コダックのフィルムが店の棚から消え始めているということだが、そう心配することはないと思っている。問題なのは、フィルムビジネスの利益率ではなくて、コダックという巨大一流企業のオーバーヘッドだ。フィルムビジネスが巨大だったころには、会社全体にお金が回ったが、フィルムが10分の1とかになったら資金は回らない。規模を変えるか別のビジネスを始めるかだが、それをどうするかだけだ。フィルムビジネスだけを切り出した小企業になればまだ存続可能だろう。
最近気になっていた曲 [音楽]
終日、暗室に籠ってプリント。何枚かは手ごたえがあるが、問題はこの手ごたえ感が数日で消えてしまうことだ。今撮っているシリーズに、この何枚かは入れそうだが、多分数日すると考えが変わるのが普通だ。年末に現像したネガの半分程度からとりあえずをプリントできた。
暗室ではCDではなく、ラジオをいつも聞いているのだが、このところ気になっていたいた曲がかかり、歌詞を検索して曲名とアーティストを発見した。
CATVでアメリカのテレビドラマを良く見ているのだが、そこにGossip Girlというドラマの番宣がよく入る。見るのは刑事ものか病院ものなので、Gossip Girlという番組には内容的に興味がないのだが、その音楽を何度も聞くうちに耳についてしまった。CMソングヒットの仕組みにみごとに引っかかってしまった。しかも番宣なので30秒程度で、なんという曲か分からない。クレジットされていないので分からないし、新しい音楽は聴かないから見当もつかなかった。それを昨日初めてラジオで聞いて曲名もアーティストも紹介されなかったが、歌詞を検索して曲名を発見して、Youtubeで聴けた次第。
このRihannaという人は全く知らなかったが、バルバドス出身のモデル兼歌手らしい。確かにきれいな人ではあるが、それよりこの数カ月耳についてしまった曲の歌手ということで重要なのだ。それから、YOUTUBEで発見したのだが、同じく気になっていた、Eminemとデュエットしている曲も同じく、Rihannaということでこの数カ月の疑問が解決した。めでたい。
Want you to make me feel like I'm the only girl in the world
Like I'm the only one that you'll ever love
Like I'm the only one who knows your heart
Only girl in the world...
Like I'm the only one that's in command
Cause I'm the only one who understands how to make you feel like a man, yeah
Want you to make me feel like I'm the only girl in the world
Like I'm the only one that you'll ever love
Like I'm the only one who knows your heart
Only one...
「写真で何がやりたいのでしょうね?」 [写真・カメラ]
週末に入って体調も良くなったが予定もないので家の周辺をぶらぶら。気持ち検査をした胃が気にかかる。先週は寝ていたのでできなかったプリントを少し開始。相変わらず大した写真ではないことで元気が出ない。それで午前中は天気がよかったので近所をカメラを持って歩いたのだが、撮った写真も同じようなものだ。
何がいけないかとというと、簡単に言うと「花鳥風月」。美しいものもあるが、何かあるわけではないし、同じような写真は無数にある。それから、明確な対象が写っていない抒情的な写真。これもたくさん撮っている。昨年の今頃は壁に写った影ばかり撮ってプリントしていた。なのでプリントしていても意気は上がらない。問題はでは何を撮れば良いのか。
写真を見ていただいている写真家の先生に、いつも聞かれる。 「写真で何がやりたいのでしょうね?」でも、何も答えられない。考えて見ると多分、シャッターを押してフィルムに光が記録されること自体が好きなのだ。撮っているものは花鳥風月は避けようと思いつつも、凡人の美的感覚(つまり社会から与えられたもの)に引きずられる。独自の世界の見方が自分に備わっていると感じない。
基本的にはシャッターを押すのは光が美しいと感じた瞬間で、特に写っているものにこだわりがあるわけではない。だから結果的に花鳥風月もあるし、抒情的なケースもある。ただ、世界にあふれる光を写して、写真として美しいものが撮れればと願っているのだ
写真は「窓か鏡か」という議論があり、Momaの写真部長だったシャコフスキーは、「窓と鏡」という論文を書き、そのタイトルで写真展を開いた。つまり写真は自分を見つめる鏡である場合と、世界をの覗いて何かを見つける窓であるというのだ。私の場合にはどちらもできず、部屋の中で落書きを書いているような気もしてくる。
今年もグループ展に写真を出す予定なので、考えをまとめなければいけないが、とりあえず今日は昨年末のネガをプリントしてもう少し、写真で何がしたいのか考える必要がありそうだ。もしかすると過去に撮ったネガを見直して、あるかもしれない宝を探すという方法もあるかもしれない。大抵36コマ撮って数枚しか六切りのワークプリントを作っていない。ベタで写真が分かるほどのプロではないので、可能性のあるものを見つけてワークプリントを作るというlことも必要かもしれない。でも整理が悪くで積んだままなので、どこから手をつけて良いかも分からない。
今日は曇りのようだから落ち着いて暗室ごもりをできそうだ。晴れているとカメラを持って出かけたくなる。






























































